ふつうの人はCDなんてもう買わなくなった

How unfashionable to buy music CDs nowaday

カルメン・マキ & OZ /閉ざされた町

1976年発表作品、「&OZ」としては 2枚目のアルバム。

A-1 INTRODUCTION
★A-2 崩壊の前日
A-3 振り子のない時計
A-4 火の鳥
B-1 LOST LOVE
B-2 閉ざされた町
B-3 EPILOGUE

すべて、歌詞は加治木剛、曲は春日博文で、A-2には二人に加えて川上茂之(曲)、A-4には栗原祐子(歌詞)がクレジットされている。

A-1からA-2の流れがすばらしい。マキの歌唱法をはじめ、曲調にはプログレが入っているが、音自体(とくにギター)は抜けのよいパンクの響きで、そこに新鮮さがある。LA録音と聞けば、いっそうなるほどと思うサウンド

タイトル曲のB-2など、プログレをやりたいのか、後のINUみたいな音をやりたいのか、もう分からなくなってくる。時代のはざまに生まれる、キメラ的サウンド。シリアスに歌い上げる歌というものが終わりを迎え、その後パロディー的でしかなくなる時代、その最後の歌唱なんだろう。

 

吉田カツによるジャケットも良し。
レコード・ジャケットとは、ひとつのアートのジャンルであり、キャンバスであったと改めて感じる。実はこのジャケット、内側を覗くと、雲の絵と月面(?)の絵も描かれている。

 

カルメン・マキ & OZ /カルメン・マキ & OZ

1975年発売。1969年、17歳の時に寺山修司作詞「時には母のない子のように」でデビューしたマキが、ブルース・クリエイションを経てあとに結成したOZのファーストアルバム。深町純がアレンジやオルガン、ピアノで参加。

A-1 六月の詩
A-2 朝の風景
A-3 IMAGE SONG

★B-1 午前1時のスケッチ
B-2 きのう酒場で見た女
B-3 私は風

ウィキペディア情報だが、「時には母のない子のように」のレコ大受賞でもらったジャニス・ジョプリンのLPが、カルメン・マキのロック転向のきっかけになったとのこと。

シャウトをしてもどこか透明感のあるマキの声だが、彼女の声に共鳴するように、春日博文(のちにRCサクセションに参加)のギター・プレイもどこか透明な響きで、プログレによくある時代がかった重々しさを感じさせない。

「私は風」もたしかに名曲で、女声コーラスの入らないバージョンも聞いてみたい(たぶんきっとあるのでは?)。

 

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George Shearing / It's Real George!

1965年発売。実はA面がジョージ・シアリング、B面がボビー・フリードマンの演奏になっている。当初発売盤はモノラルだが、1970年にはステレオで再発になっているらしい。

George Shearing
A1    I'll Never Smile Again
A2    I'll Be Around
★A3    Move
A4    Conception

The Bobby Freedman Group
B1    Red's Romp
B2    Frankie And Johnny
B3    Blues
B4    Peanuts
B5    Fire One

 

録音はぼんやりしていて、水中で音が鳴っているような。プチプチノイズも凄いが(というのは僕が買った盤が、だが)、ジョージ・シアリングの場合はそれもなにか音の一部として聞けてしまう。クリアな盤と聞き比べるのでなければ、だろうけども。

パーソネルの記載はないが、ドラム、ベースに、ヴィブラフォンとギター。スウィング・ジャズ風というのか、アップテンポな曲が多いが、シアリングらしいクールな手触り。

 

さてB面のボビー・フリードマン。なかなか、いい感じよ。シアリングとは芸風はぜんぜん違って、テクニシャンの雰囲気を醸し出す。ピアノトリオ編成で、B4に参加しているのはクラリネットだろうか。

ネットで調べると、なぜかドイツ語版のウィキペディアにだけ情報が見つかる。エリントンのバンドに加わったり、編曲者として、クインシー・ジョーンズグラミー賞も受賞しているらしい。

フリードマンもB面も本当、なかなかいい演奏なんだけど、わざわざ聴くかっていうと、どうかな。やっぱり、シアリングが唯一無二なのよ。

 

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